新体操プロジェクト
伊野尾くん、4ヶ月間新体操プロジェクトお疲れ様でした。
最後は悔しい結果で終わったけれど、やってきたことは、意味がある!
本当、伊野尾くんの“頑張ってる所を見せたくない”っていうか、“それを出したくない”みたいな部分が、
勝手だけど、自分と似てるなって思うからすごく胸にズシンと来るものがありました。
私も筋トレとか耐える系の運動を“人に見られながら”やるのとか、
本当に大ッッッ嫌いで。
しんどそうだから、それを見る側の、筋トレやマラソンの番組も苦手でいます…
(だから伊野尾くんの練習少し見れてない、、初めは特に、しんどそうに思ってしまって)
本題とはズレますが
伊野尾くんが、先輩から「筋肉ないね〜」とか言われたって聞くと、
「は?なくても生きていけるじゃん。あって当たり前みたいに思うなよ。こだわりを押しつけんな(笑)」って返したくなるタイプの人間です。
でも、その見られながら挑戦する状況(企画)を越えないと、
伊野尾くんはステージ・日々の生活で『頑張り切れない時が来るかもしれない』からやることはプラスになるし、
私の場合だと、体育の授業・日々の生活で『頑張れる範囲が狭くなってしまう』からプラスになる。
やらなくてもいい理由はある。
でも、やらなくちゃいけない理由も、いつでもあるんだよね。
もちろん
“無理して自分の苦手なことやらなくていい”
って言うのは正しいんだけど、
そうじゃない時にどれだけやれるか?っていうのがその人の人間力にかかってると思うんです。
だからここぞ!という時はやった方がいい。
でも、“頑張ってる所を見せたくない”気持ちがない、もしくは薄い方に勘違いしてほしくないのは、
(JUMPファンの方ならわかるかもしれませんが)
一見すごく利己的に思える考え方だけど、伊野尾くんのそれは利他的でもあるということ。
伊野尾くんと違うのは、
今までコンサート、舞台や大学生活では
皆から見えないところで、言わないままで、努力してきたっていう所。まさに、不言実行。
伊野尾くんは、『努力が表に出ながら挑戦をすること』がなかっただけなんだよな。
そしてもう一つ違うのは、伊野尾くんの“頑張ってる所を見せたくない”には、
「みんな同じように頑張ってるんだから、自分だけ大変なように言いたくない。
みんなには楽しい話だけしたい。」
楽しくない話をするにしても、
「誰かが何かしようって思ってくれるなら、その話をするのにも意味がある」
っていう思いが込められている。決して綺麗なものではない、『努力』を目にする人の気持ちを考えているんですよね。
だから、同じ気持ちを持つ人間として、伊野尾くんの“頑張ってる所を見せたくない”が、
悪い意味ばかりに捉えられるのは許せないんです。だって彼は良い意味もちゃんと持ってるから。
「普段グータラらしいけど頑張れたね!見直した!」って結論になるのだけは許せない。「頑張るべきところで頑張る姿勢が、表に出たんだね」というのがホントのところじゃないかなぁ。
けれど、やっぱりそういう気持ちを持っていながら、テレビで随時見られつつ、ここまでの事を達成するって素晴らしいことだなって思った、ということです。
頑張り切ったってすごいな、本当に!
悔みながらもまず楽しめる姿勢、尊敬します。
自分も、今後、部活で
泣くほど悔やめるくらい努力したいと思います。
伊野尾くん、そして皆さん本当にお疲れ様でした!!